大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和34年(う)1942号 判決 1960年7月14日

控訴人 検察官 沖永裕

被告人 臼井静 外四名

弁護人 大蔵敏彦 外一名

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、静岡地方検察庁検事正代理検事内田達夫作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人大野正男及び同大蔵敏彦各作成名義の答弁書にそれぞれ記載のとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。

控訴の趣意第一点について

所論の主要な論点は、公職選挙法第百四十八条第一項の新聞紙、雑誌と認められる政党、労働組合等の機関紙が、選挙に関しその文章の内容、体裁上単なる報道、評論のみでなく、特定の候補者の当選を得ることを目的とする内容をも掲載している場合は、同法条の正当な報道、評論の限界を越えたものと解すべきに拘らず、原判決が当該機関紙が特定の候補者の当選を得ることを目的とする内容のみを有する記事を掲載している場合が適法な報道、評論でなく、その目的を有しない内容の記事を掲載している場合は、適法な報道、評論であると判断しているのは、法令の解釈を誤つたものであるというのである。

そこで先ず原判決を精読するに、右所論に相当する部分は、原判決は、右のような機関紙において「単なる主観的な宣伝を内容とする記事は報道、評論とはいえないのであつて、もつぱら特定の候補者に当選を得しめる目的のみをもつてかような宣伝的記事を掲載するときは、同法第百四十六条に違反する。」「その機関紙において特定の政党または候補者を推せん、支持し、もしくはこれに反対する旨を報道し、その解説を行い、もしくはこれについて意見を表明するなどの方法により評論をなすことは、さきに述べた限界を逸脱しない限り言論の自由として許された行為である。」「機関紙による報道、評論は特定の政党もしくは候補者を支持、推せんし、またはこれに反対することになる場合が多いが、そのことは報道、評論たるを妨げない。」というのであつて、原判決の右判断の要旨は、当該機関紙の記事が単に特定候補者に当選を得しめる目的をもつて主観的な宣伝のみを内容とする記事である場合は、前記法条の報道、評論に該当せず、特定の候補者についてこれを推せん、支持すること、又はこれに反対するについて報道したり、意見を述べたりする記事は、単なる当選を目的とする宣伝記事ではないから、前記適法な報道、評論に該当するという趣旨と解せられる。即ち原判決の右判断は、検察官の所論のように、単に特定の候補者の当選を目的とする記事が違法で、この目的のない記事が適法な報道、評論にあたるという趣旨ではなく、単に特定の候補者の当選を得る目的で主観的な宣伝のみを内容とする記事は正当な報道、評論ではないというのであるから、この点に関する前記非難は原判決の趣旨を誤解したものであつて失当である。しかし原判決は公職選挙法第百四十八条第一項の報道、評論の解釈について右のように判断を示して居り、論旨はまたこれと異なるような解釈を主張しているので、この点に関し考察するに、記録及び原審において取り調べた各証拠によれば、本件起訴にかかる「国労静岡」の昭和三十三年四月三十日付号外、同年五月二日付第二百八十五号及び同月十六日付第二百八十七号の三紙は、国鉄労働組合静岡地方本部の発行する同組合の機関紙であつて、公職選挙法第百四十八条第三項の法定要件を具備し、同条第一項に規定する新聞紙に該当することを認めることができるから、右機関紙は同条第一項但書に該当するものを除き、選挙に関する報道、評論を掲載する自由を有するものであるが、同条に規定する報道とは、選挙に関する客観的事実の報告であり、評論とは政党その他の団体、候補者その他のものの、政策、意見、主張、選挙運動その他選挙に関する言動を対象として論議、批判することを指すものと解する。即ち、ある政党、政治、及び経済等に関する団体、労働組合、選挙候補者、同運動者その他のものが、選挙に関し如何なる政策を発表したか、如何なる意見、主張を述べたか、あるいは、如何なる候補者が立候補したか、ある候補者を誰が支持、推せんし、誰が反対したかというような事実を報告として掲載するのが同法条のいわゆる報道であり、前記諸団体又は候補者等の政策その他の意見、主張や、選挙運動その他選挙に関する言動を論議し、批判し、賛否の意見を述べたり、あるいは批判の対象とした特定の政党、政治団体又は特定の候補者を支持、推せん、若しくは反対する等の意見、主張の記事は、同条の評論に該当するものと解すべきである。

ただ特定の候補者の推せん、支持に類似する記事であつても、その内容の実体が単に当該候補者の当選を目的としてその人物、意見等の宣伝のみを専らにする記事は、右法条の許容する正当な報道、評論には該当しないものというべきである。

そして右法条の新聞紙、雑誌に掲載された記事が正当な報道、評論に該当するや否やを定める基準、即ち適法な報道、評論と然らざるものとの限界は-記事の内容の具体的な取扱方、掲載の形式、体裁、方法等はそれぞれの新聞紙、雑誌の性格、目的、読者等の相違に応じて異なることはあつても-一般の商業新聞たると、政党又は労働組合その他の団体の機関紙たるとを問わず同一で、その間何らの差異もあるべきでなく、同じく労働組合の機関紙であれば、国鉄労働組合の如き組織、内容の強大な且つその業務が公共的性格を有する組合の機関紙たると、弱小な市井の企業体の組合の機関紙たるとを問わず、その間に毫末の差異も認むべきでないと解する。

検察官の所論は、特定候補者の当選を目的とするとみられる内容の記事は、適法な報道、評論ではないと主張するもののようであるが、前説示のとおり、単にその記事が特定の候補者の当選を目的とするが如き内容を有する記事であるの一事によつて直ちに違法な記事と断定することにはにわかに賛同することができない。けだし公職選挙法第百四十八条第一項において新聞紙、雑誌等の言論に選挙に関する報道、評論の自由を保障した所以は、憲法第二十一条(言論、出版等の自由保障)の精神を尊重すると共に、正規の新聞紙、雑誌の社会的意義を認め、選挙に関し豊富な資料と公正な言論を国民に提供させて、国民の民主的意義の向上を目的とするが故というべく、それがために公職選挙法第百四十八条第三項に法が新聞紙、雑誌と認めるものについて厳格な要件を要求すると共に、同条第一項但書においては選挙の公正を害する如き表現の自由の乱用を禁止し、且つ同条第二項には頒布について正規の方法を逸脱することを禁じているのである。この法の精神とその規定の内容に鑑みるときは、法の要求する要件を具備する新開紙、雑誌が、選挙に関し、特定の候補者の言動を客観的に報告したり、これに対し公正な批判をし、その候補者の人格、識見、政治上の意見を支持し、これを読者に推せんして当選を期待したり、あるいはその反対に、批判の結果その候補者を排斥するの言説を掲載することは、何ら選挙の公正を害するおそれはないものといわなければならない。

原判決の公職選挙法第百四十八条第一項の報道、評論の解釈は、その思考ないし判断過程の一部において前説示と異なる点はあるが、その結論としてはこれと同一の見解をとるものと解せられるから、結局原判決には所論のような法令の解釈を誤つた違法は存在しない。論旨は理由がない。

控訴の趣意第二点の一について、

所論の要旨は、原判決が本件の「国労静岡」の記事内容を公職選挙法第百四十八条の正当な報道、評論と認定したのは事実誤認であるというのである。

そこで原審において証拠として取り調べた本件起訴にかかる「国労静岡」の三紙の記事を調査、検討するに、

一、昭和三十三年四月三十日付同紙号外の記事中、勝沢芳雄に関するものは、同紙の右側に「五月二十二日総選挙、働く者こそ幸せになろう」と題し、本文には、四月二十五日国会解散が行われ、三年ぶりで総選挙することとなつたが、保守党内閣は議会民主主義を無視しているので、我々はこの機会に日本のあゆむ方向をアメリカ一辺倒、再軍備、独占資本擁護の道から、平和民族の独立、働く者の生活と権利を守る道へ転換させなければならぬ旨を、及び総選挙の告示、投票日等の日取りを掲載し、五月二十二日にはみんなが権利を行使して働く者こそ幸せとなる為に仲間を誘つて一人残らず投票に行こうという趣旨の記事を掲載し、また中央には「搾取のない世の中を作る為勝沢芳雄の推せん決定」と題して、国鉄労働組合静岡地方本部が勝沢芳雄委員長を衆議院議員選挙に静岡県第一区から立候補させ推せんすることに決定したとの記事を、そしてその左側上段に勝沢芳雄の写真を、その下段に同人の経歴に関する記事をそれぞれ掲載している。右の掲載記事を観ると、前半は保守政党政府に対する批判、総選挙に対処する静岡地方本部としての意見及び総選挙の日取りの報告であり、後半は、同地方本部が勝沢芳雄を立候補させ、これを推せんすることを決定した事実及び同候補者の写真、経歴の報告であるから、右は公職選挙法第百四十八条第一項の選挙に関する正当な報道、評論の限界を全く逸脱しない記事と認められる。

二、次に同年五月二日付同紙第二百八十五号の勝沢芳雄に関する記事は、第一面右側上段に「推せん候補各地で奮闘、保守政権打倒の好機、三年ぶりの総選挙」と題し、本文に総選挙の日取り、岸内閣の行動に関する報道、批判及び「私たちは全力をつくし社会党を中心とした民主勢力の画期的飛躍をかちとらなければならない」との意見並びに勝沢芳雄の公約事項を掲載し、また左側最上段には、横に黒地に白く大きな活字で「勝沢芳雄を当選させよう」と印刷し、その下には同人の写真と共に同人の意見として「働く者が幸せになる為に」と題して、国家予算税金その他に関する政治上の批判及び意見並びに組合員に協力を求める趣旨の記事を掲載しているのであり、

三、また同年五月十六日付同紙第二百八十七号の記事中右候補者に関するものは、先ず前記第二百八十五号と同様に第一面の左側最上段に黒地に白く「勝沢芳雄を当選させよう」と印刷し、右側上段には「総選挙終盤戦に突入、推せん候補各地で奮闘、静岡県第一区は苦戦中」と題し、静岡県その他各地の選挙状勢を報告する記事と勝沢候補者の選挙運動の状況及びその当選を期する記事を、また中段には「勝沢候補の必勝の誓、みんなで全力を尽そう」と題して勝沢芳雄の選挙状勢と組合員に対する同候補者への支援の要求を、また中段中央から下段中央にかけて、同候補者の演説会の日程を、次に藤原道子の国鉄職員に対する勝沢を当選させてくれという趣旨の通信文の一部をそれぞれ掲載し、なお左側上段と右側中段に同候補者のための街頭演説の写真を掲げている。

右五月二日付と同月十六日付の両紙の記事を通覧するに、候補者勝沢芳雄の当選を目的とするための単なる宣伝的記事ではなく、一般的に保守党やその内閣に対する批判と、同組合において候補者として推せん支持している同人の人物、政見等を報道し、これを支持する意見を表明し、且つ一般選挙運動の状勢の報告と併せて勝沢芳雄に対する組合員の支援、協力を求める意見を記載しているのであるから、右はいずれも前記法条の報道、評論に該当するものであつて、何ら表現の自由を乱用し、選挙の公正を害するおそれのある記事とは認められない。尤も右両紙の紙名題字の下に、(前記四月三十日付号外も同様)「さあ選挙だ俺達の代表を国会に送ろう」とか「最後の追込み、推せん候補の必勝を期そう」と印刷したり、また前記のように特に紙面最上段に黒地に白で「勝沢芳雄を当選させよう」と比較的大きな活字で印刷、掲載しているのは、ただこの部分だけを取り上げれば何ら報道、評論の内容を有ぜず、右候補者の当選を目的として投票を求める勧誘の文言とみえるのであつて、その表現の形式、体裁はやや妥当を欠く嫌いはあるが、これらの文言を各紙の前記記事と一体として観察すれば、組合が同候補者を支持、推せんする意見表明の一部と看取することができるのであるから、それぞれ右一部の文言のみを切り離して取り上げこれを不当、違法の記事と論ずるのは正しくない。

検察官の所論中には、新聞紙の記事が公職選挙法第百四十八条第一項の正当な報道、評論に該当するや否やは、当該文書の内容、形式、体裁からの客観的考察と、頒布の目的、時期、方法、発行部数等から推定される頒布者の意思に対する主観的考察を総合して判断すべきであるとの主張もあるが、同法条の報道、評論は前説示のように解釈すべきであり、その報道、評論が適法であるかどうかは、その報道、評論自体により、しかもその体裁や形式や、また片言隻語にとらわれることなく、当該記事の実体を把握して判断すべく、そしてその報道、評論自体が正当である限り頒布者の意図が所論のような目的を有していたとしても、これは報道、評論の適法性に何ら影響を及ぼすものではないというべきである。

以上の理由により本件「国労静岡」三紙の記事が公職選挙法第百四十八条第一項の報道、評論に該当する適法なものと判断した原判決には、所論のような事実誤認の違法はない。従つて被告人臼井静、同松浦茂、同岡崎武、同青木薪次の右機関紙に関する本件起訴行為が公職選挙法第百四十六条違反の罪とならないと判断した原判決は正当である。論旨は理由がない。

控訴の趣意第二点の二つについて

所論の要旨は、原判決が被告人浅見秀夫について同人が本件「国労静岡」の発送に関与したと認め得る確証がないと認定したのは事実の誤認であるという趣旨である。

右所論に鑑み記録及び原審において取り調べたすべての証拠を調査するに、被告人浅見に対する本件公訴事実の存在を証明し得るが如き内容を有するものは、同被告人の司法警察員川井昭二及び同杉山仲一並びに検察官に対する各供述調書と林正人の検察官に対する供述調書の各供述記載のみであつて、他に右公訴事実の存在を証明するに足りる証拠は全然存在しない。そこで被告人浅見の右各供述調書中の供述及び林正人の右供述調書中の供述が果して措信し得るものであるかどうかを検討するに、先ず被告人浅見の各供述調書にあらわれている同人の供述は、同人に対する公訴事実に符合するのではあるが、その内容全体は少なからず杜撰、粗雑であり、重要な点に関する供述を欠き、その自白は必ずしも我々を首肯せしめるには足りない。たとえば、「国労静岡」の発送頒布は国鉄労働組合静岡地方本部の業務であり、被告人浅見は同本部の執行委員ではあるが、同組合静岡支部の副委員長として専ら同支部の業務を担当して居り、本部の業務には全然関与していなかつたこと証拠上明らかであるに拘らず、何故に同被告人が本部の業務である右機関紙の発送事務に関与したのか、その発送先が同支部の管轄地域であること及び同被告人が勝沢芳雄の選挙運動をしていたことのみではその理由を解明することはできない。しかも同被告人が本部に行つて機関紙の残部を見たとき、同所に本部の執行委員が居たというのに、被告人浅見が右機関紙を発送するについて本部のその執行委員と協議したことも依頼を受けたことも供述していないが、同被告人が本部の業務である右機関紙の発送を行うに当つて何故居合せた本部の執行委員(たとえそれが情宣事務の担当者でなかつたにしても)と協議し、あるいはその執行委員に依頼しないで自ら独断で発送事務をとつたのであるか。また当時本部には会計係の職員が勤務して居り、右機関紙の発送に関する労務に従事したアルバイト学生に対する報酬は、いずれも同会計係職員から当該学生に支払つているにも拘らず、同じ機関紙の発送に関する費用である郵送料のみを、何故右会計係に支出請求せず、同被告人個人が立替支払をしたのであるか、またその立替金は相当多額であるに拘らず、同被告人が捜査官の取調を受けるまで一ケ月前後の期間、組合との間にこれを精算しなかつたのは何故であるか。林書記から受領したという郵送料金の受領証を被告人浅見はどう処分したのか。

これらの点及びその他にも必要と認められる事項について同被告人の供述を欠いているのであるが、その供述のない理由は他の証拠によつても明らかとすることができない。林正人の検察官に対する供述内容も右と同様極めて漠然としたもので、右の疑点を明らかにすべき供述は全然なく、事実の真髄を明確にする内容がない。従つてこれらの各供述内容を他の関係証拠、即ち林正人の原審公判廷における証言原審証人広瀬重夫、同上田克己、同井上徹、同望月今子、同沢本忠夫の各証言、証票綴中の各伝票及び郵便料金受領証等と対比するときは、被告人浅見及び林正人の右捜査官に対する各供述調書の内容は、同被告人の本件公訴事実の存在を証明する証拠としてはまことに不十分といわざるを得ない。

検察官は同被告人の原審公判廷における供述と右林証人の証言及び供述との間にくいちがいあり、また証票綴中の本件に関する支払伝票等は後日整理し作成したものではないかとの疑ありと論じているが、右証拠物が同被告人らの原審法廷における供述に符合させるため、後日故意に作成されたものと認めるに足りる確証はなく、また同被告人と証人林正人の原審における供述が多少相違している点があつても、なお機関紙の発送先が同被告人が勝沢芳雄のために選挙活動をしていた組合静岡支部の地域内の組合員家族であることや、機関紙発送にあたつて同支部で作成したいわゆる小票が使用されている事実があつても、これらの事実だけでは同被告人の前記捜査官に対する供述が真実であることを認めるに足りないし、更に当審の事実審理の結果によつても同様である。その他に同被告人に対する本件公訴事実の存在を認めるに足りる確証は全く存在しないのであるから、原判決がこれと同一の判断をし、同被告人の犯行については証明なしとして無罪の判決をしたのは至当である。それ故原判決には所論のような事実誤認の違法はなく、論旨は理由がない。

本件各被告人に対する検察官の控訴は、右のとおりいずれも理由がないから、刑事訴訟法第三百九十六条によりこれを棄却べすきものとして、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 井上文夫 判事 久永正勝 判事 河本文夫)

検察官内田達夫の控訴趣意

第一点原判決は、公職選挙法第百四十八条(以下、単に一四八条と称する。)の規定中、新聞紙の、選挙に関し報道及び評論を掲載するの自由についての解釈・適用について誤を犯し、その誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるものと思料する。

一、原判決は、本件公訴にかかる「国労静岡」が一応形式的には国鉄労働組合静岡地方本部の発行する機関紙であることを認め、機関紙における報道・評論の限界について、その原則として、(1) 単なる主観的な宣伝を内容とする記事は、報道・評論とはいえないのであつて、もつぱら、特定の候補者に当選を得しめる目的のみを以て、かような宣伝的記事を掲載するときは、同法一四六条に違反することとなる。(2)  虚偽の事項を記載し、事実をまげて記載するなど、表現の自由を乱用するものであつてはならず、選挙に関する報道・評論が、その乱用に亘り、選挙の公正を害するときは、同法一四八条一項但書違反となる、としている。右(2) の虚偽事実の記載等の表現乱用については、一四八条一項但書に明記されているところであつて当然といえるであろうが、(1) の点については、解釈として疑義がある。すなわち、「もつぱら特定の候補者に当選を得しめる目的のみを以て……」との解釈は正当であろうか。一四八条の規定の解釈として、かような特定の目的のみを以てすれば報道・評論の限界を超えその目的がなければ報道・評論の限界を超えないという解釈は、どこから出て来るのであろうか。疑いなきを得ない。報道・評論ということは、かような目的の有無、或いは目的の如何によつて決定せらるべきものとは思われない。まして、特定候補者の当選目的のみでやれば報道・評論の限界を超えるということは、法文の解釈に不当な制限を加えたものである。この点について、昭和二八年七月一六日の大阪高等裁判所の判決(高裁刑事判例集第六巻七号八〇頁)で判示している如く、「労働組合の機関紙に、特定候補者の氏名の表示のあるものを、該候補者の当選を得しめる目的で、組合員に頒布する行為は、右目的の外、選挙に関する報道の目的がある場合でも、同法一四六条に規定する同法一四二条の禁止を免かれる行為に該当する。」との判決は、とつてもつて参考となる解釈というべく、機関紙本来の目的である報道・評論という目的と、特定候補者の当選を図るという目的と両者併存している場合であつても、いやしくも、文章の内容・体裁上単なる報道・評論のみでなく、特定候補者の当選を得る目的とみられる内容が、掲載されている場合には、法の規定した報道・評論の自由を超えるものと解釈するのが正当であつて、原判決はこの点において既に法令の解釈に誤を犯しているものと信ずる。ところが原判決は、更に進んで、労働組合の機関紙の特殊性として次の如き解釈を展開している。すなわち、「(1) 一般に、機関紙は、特定の社会的・政治的、もしくは経済的立場をとる団体が、その決定した意思を伝達し、その団体の目的の達成に必要な評論を行い、成員相互の連絡を図ることをその使命とする。これを労働組合の機関紙についてみれば、主として、組合員の経済的地位の向上を図ることを目的とし、これに必要な限度で政治的評論をも併せ行い、組合員の社会的・政治的意識の向上を図るとともに、組合自身の行う政治活動を有効に展開することを期するものである。(2) 而して、労働組合が、その経済的活動に付随して行い得る政治活動の内容や限度は、その必要性の度合いに応じて、具体的に決定されることになるであろうが、その機関紙において、特定の政党または候補者を推せん・支持し、もしくはこれに反対する旨を報道し、その解説を行い、もしくはこれについての意見を表明するなどの方法により、評論をなすことは、さきに述べた限界を逸脱しない限り、言論の自由として、許された行為であるということができる。けだし、憲法による労働権・労働基本権の保障は、或る程度の具体性をもつとはいえ、更に、立法によつていつそう具体化され得るものであり、従つて、立法機関の構成は、労働組合の関心事たらざるを得ないからである。とりわけ、国鉄労組についてみれば、同労働組合の組合員が雇用されている日本国有鉄道は、独立の人事管理(国鉄法二六条以下)と、団体交渉による労使関係の自主的規整(公労法八条以下)、並びに或る程度の独立採算制が認められているとはいえ、その財政は、国家予算に準じ国会の議決を経なければならない(国鉄法三九条以下)こととされているため、予算上、資金上不可能な支出を伴う労働協約や仲裁裁定は、国会の承認をまたなければ、その効力を発生するに由なく(公労法一六条・三五条)、しかも争議行為を禁止された国鉄職員にとつては、仲裁裁定は、職員の労働権(労働者として、人間たるに値する生活をいとなむことの要請に基く権利)を確保するための重要な制度であるにもかかわらず、仲裁裁定は、その当初より、その内容・条件につき、国会の全面的な承認を得られぬことが多く、そのため完全に実施され難い実情にあつた。加うるに、職員に争議権が認められぬため、実力行動に訴えることが許されず、また実力行動に訴えるときは、組合の組織に混乱をまねくおそれのあることも予見された。そこで、国鉄労組としては、国会における政治力を介して、組合員の利益を擁護することを一つの方針とし、そのため、組合の利益代表や支持政党の党員を国会議員に選出することを必要とした(このことは、東京地方裁判所昭和三四年三(ヨ)五五八号、昭和二五年二月二五日判決、併合後の証人野々山一三・同千頭和錬太郎の当公判廷における証言、押収してある「仲裁裁定はいかに実施されたか」と題する冊子(昭和三四年領第三一号の一)によつて認められる。)従つて、国鉄労組が、その組合員の労働権を確保するために行う政治活動、特に選挙のための活動は、一般の労働組合のそれと比較し、強度にして、かつ広汎に亘り得るといえるであろう。」と判示している。なるほど、労働組合の機関紙が、その組合員の経済的地位の向上のために、これに必要な限度で政治的評論を行い、組合員の政治的・社会的意識の向上を図り、組合自身の行う政治活動を有効に展開することを期することは、その気持としては吾人も了解するに吝かではない。しかるに、原判決は、一歩進んで、国鉄労組について、同労組が争議行為を禁止されていること、仲裁裁定は国会の承認がなければ効力を生じないこと等の理由から「組合員の労働権を確保するために行う政治活動、特に選挙のための活動は、一般の労働組合のそれと比較し、強度にして、かつ広汎に亘り得るといえるであろう。」と判示しているのであるが、たとえ国鉄労組に右の如き特殊事情ありとしても、国鉄労組のみを一般の労働組合と区別し、その政治活動を強く行い得るという見解は全く首肯できない。国鉄労組が争議行為を禁止されたり、その仲裁裁定が国会の承認を必要とされていることは、国鉄自身のもつ性格、すなわち、国有鉄道という独占的大企業であつて極めて大きい公益性をもつことから来る特異事情の故に、恰も国家公務員と同じように種々の法律上の制約を受けているのであつて、公共の福祉という立場から来る止むを得ない制限である。その制限あるが故に、特に選挙活動を強く行い得ると言うことはできない。このことは、国家公務員が政治活動さえ全く禁止されていることに徴しても明らかであろう。仮りに百歩を譲つて、原判決のとおり、国鉄労組が強い政治活動を必要とするとしても、それが本件の一四八条の報道・評論の自由と如何なる関係に立つものであろうか。強い政治活動を必要とするが故に、報道・評論の自由は広汎にわたらねばならないとでもいう意味なのであろうか。判文上その点について明確な表現を欠き、「以上のようなしだいであるから、機関紙による報道・評論は、特定の政党もしくは候補者を支持・推せんし、または、それに反対することになる場合が多いが、そのことは、報道・評論たることを妨げないものと解される。」と述べており、国鉄労組の機関紙については、一般のそれよりも特定の候補者を支持・推せんする傾きが強くても構わない、として、報道・評論の自由の原則に対して例外を認めているかの如き表現をなしているのである。もしも、国鉄労組の機関紙なるが故に、一四八条の解釈について特に一般の機関紙と比べて例外を認めようという意なりとすれば、それは法律の解釈として全く誤まつたものというべきであつて、機関紙は、どこまでも報道・評論の自由を守つてこそ正当な機関紙であり、単なる一労組のもつ特殊事情から法律に拡張解釈を加えることは、到底正当な解釈ということができない。この点原判決は法令の解釈・適用に誤があつてその誤が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから到底破棄を免かれない。

第二点原判決が、本件「国労静岡」の記事内容を公職選挙法第百四十八条の正当な報道・評論と認定した点及び被告人浅見が本件「国労静岡」の発送に関与したと認めるに足る確証がないと認定した点は、事実の誤認であつてその誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一、本件「国労静岡」の記事内容を一四八条の正当な報道・評論と認定した点について、(一) 新聞の記事内容が一四八条の正当な報道・評論に該当するか、または右範囲を逸脱し、従つてその頒布行為が一四六条違反になるかは、前記第一点において論じた如く、単なる主観的な宣伝を内容とし、特定候補者に当選を得しめる目的をもつてなす記事であるかどうかの事実認定の問題であるが、右認定の基準は、労働組合の機関紙においてもまた同様である。なお、右認定の具体的基準としては、文書自体の内容・形式・体裁等によりみる客観的考察と同時に、その頒布の目的・時機・方法・発行部数等から推定される頒布者の意思という主観的考察があるが、両者はこれを総合して考察すべきものである。然るに原判決は、記事内容と頒布方法を分析してそれぞれ両者の正当性を認定し、一四六条違反に該当しないとしている。(二) まず本件において問題となつた各「国労静岡」の記事内容自体について検討するに、「国労静岡」二八五号については、原判決は、候補者勝沢芳雄の寄稿した立候補についての所信を報道し、これに同候補者の写真を配し、国鉄労組静岡地本報行委員会の決定に基き同候補を支持する旨を組合員に徹底するための記事であつて、右は機関紙に許された報道・評論であると認定している。然しながら、「国労静岡」は、勝沢候補の写真及び所信欄を他の記事より故らに大きく取り扱い、更にその上段に、黒のバツクに「勝沢芳雄を当選させよう」と一目で見易い白の大きな文字による標題を掲げ、更に「国労静岡」の題字の下にも「さあ選挙だ!俺達の代表を国会へ」と記載している。かくの如き大きなスローガンは、候補者の写真、所信欄等と共に一見して同候補の主観的宣伝を目的としたものと解され、右文書の体裁と文調よりして、これを単なる報道的文書であるということは、文章の健全な常識的解釈上とうてい許し得ないところである。(三)「国労静岡」第二八七号については、原判決は、各地の選挙情勢を報道し、勝沢候補を当選させるために組合員が一層応援努力すべきことを述べていることをもつて不当な評論とみることはできないと認定している。然しながら、前同様、「勝沢芳雄を当選させよう」というスローガンを大きな文字で記載し、「国労静岡」の題字の下にも「最後の追込み、推せん候補の必勝を期そう」と記載し、更に右記事中には、大きな見易い活字で「勝沢候補の必勝を誓い、みんなで全力をつくそう」等と記載しているのであつて、右各記事内容が、一見して正当な報道・評論と認められないことは、第二八五号と同様である。(四)「国労静岡」四月三十日付号外については、原判決は、勝沢候補者の経歴と写真を掲載し、静岡地本が同候補者を推せん・支持することを決定した旨を報道したものであつて、経歴の記載は推せんの理由ともなるのであるから、これもまた正当な報道・評論と解することができると認定している。然しながら、勝沢候補を国鉄労組静岡地本の地方委員会で推せん決定したのは昭和三十三年一月下旬頃であり(記録三二三丁裏)、右推せんをしたことの報道を三カ月後の選挙直前である四月三十日に至つてわざわざ特別の号外を発行して速報する必要がどこにあるのであろうか。専ら勝沢候補の当選を得るためのものであるとみるほかはない。また右号外は、専ら勝沢侯補の記事のみであつて他の一般候捕者の記事は全くなく、勝沢の写真・経歴及び「さあ選挙だ! 俺達の代表を国会へ送ろう」等のスローガン等からしても、専ら勝沢候補の選挙運動用に特に発行した宣伝文書と認定せざるを得ない。(五) 本件「国労静岡」の頒布方法をみるに、国鉄労組静岡地本管内の組合員及びその家族に送付した以外にも、なんら同組合員びその家族でない一般選挙人宅にも郵送したり、またその自宅を戸別に訪問して頒布した事実も存在する。すなわち、被告人浅見は、国鉄労組静岡支部管内の組合員及びその家族のほか、右組合に属しない、いわゆる第二組合員家族にも料金別納郵便で郵送している(一二五二丁・一二八九丁)・また被告人岡崎及び星野晃は、国鉄労組となんら関係のない「日本高圧」・「東亜燃料」等の社宅を戸別訪問して一般選挙人に頒布している(六六三丁乃至六六四丁・九一三丁乃至九一四丁)。(六) 更にその発行部数を検討するに、静岡地本管内の国鉄労組員は概数一万四千人で、国労静岡の通常発行部数は千六百部であつたが、四月三十日付号外は三万部・五月二日付二八五号は四千部。五月十六日付二八七号は六千部宛発行している(三〇二丁乃至三一三丁)。以上の如く、本件「国労静岡」及び同号外は、その記事内容及び形態自体からだけではなく、その頒布の方法・発行部数等を総合考察しても、専ら勝沢候補を当選させるため本件機関紙を利用したものであることが明らかである。これと同種のケースとして、昭和二六年三月三〇日、大阪高等裁判所判決(高裁刑事判決特報二三号六三頁)及び同高裁昭和二九年一一月四日判決(最高裁刑事判例要旨集九巻一〇号七〇八頁)も、本件と類似した事例の判例として参考となるであろう。結局、原判決は、事実を誤認し、本件「国労静岡」を正当な報道・評論としてその頒布行為を一四六条に該当しないとした違法がある。以上の理由により、原判決は、この点において刑事訴訟法第三百九十七条第一項・第三百八十二条に則り破棄を免かれないと信ずる。

(その他の控訴趣意は省略する。)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例